13日(木)、エマニュエル・マクロン(Emanuel Macron)大統領は、アルジェリア独立戦争(1954-1962)当時、アルジェリアの数学者で独立運動家であるモーリス・オーダン(Maurice Audin)氏(当時25歳)が、フランス軍に捉えられ拷問を受けた後に失踪した事件で、フランス歴代大統領として初めて、フランス軍による拷問と国家責任を認め、謝罪しました。(写真はアルジェリア独立戦争殉教者記念塔)
アルジェリア戦争
概要
アルジェリア戦争(La Guerre d’Algérie)は、1954年11月から1962年まで起こった、当時フランスの領土であったアルジェリアのフランスからの独立戦争のことを言います。
アルジェリアは1830年から、「フランス領アルジェリア」として海外県と海外領土の中間的な存在(事実上の植民地)として、フランスの支配下にありました。
フランス政府は1999年までは公式に「戦争」とは認めず、「アルジェリア事変(Évènements d’Algérie)」もしくは「北アフリカにおける秩序維持作戦(Les opérations effectuées en Afrique du Nord)」と呼んできましたが、99年に法律が改正され、公式に「アルジェリア戦争」と記されるようになりました。
また、この他にもアルジェリア革命(La révolution algérienne)やアルジェリア独立戦争(La guerre d’indépendance algérienne)、アルジェリア国家解放戦争(La guerre de libération nationale)とも呼ばれています。
交戦勢力
戦争は主に、独立を扇動するアルジェリア民族解放戦線(FLN/Front de libération nationale)とアルジェリア民族解放軍(ALN/Armée de libération nationale)、アルジェリア国家運動(MNA/Mouvement national algérien)対、独立を阻止するフランス政府、さらにフランス領アルジェリア戦線(FAF/Front Algérie française)とフランスの秘密軍事組織(OAS/Organisation de l’armée secrète)の戦いとなりました。
アルジェリア側には、エジプトやアラブ連合共和国(1958-1961)、モロッコ、チュニジアなどの中東や北アフリカ諸国の他、ソビエト連邦、ユーゴスラビア(1929-2003)、チェコスロバキア社会主義共和国(1948-1989)、ベトナムなどの社会主義国や共産主義国が支援国として参加しました。
一方、フランス側はスペイン、NATO(北大西洋条約機構)、イスラエルが支援しています。
戦争
フランス軍による、アルジェリア民族解放戦線の戦闘員やその支持者とみなされた一般住民への拷問や虐殺、またアルジェリア民族解放戦線による「フランス人」を狙った市街地での爆弾テロなどが相次ぎました。判明しているだけでアルジェリア側が141,000人以上、フランス側が28,600人の戦死者が出ています。
民間人を含めると、アルジェリア側で死者は50万人を超え、フランス側も数万人が死亡したと言われています。
フランスではアルジェリア戦争での残虐行為はタブー
フランス国内では、アルジェリア戦争時のフランス軍による、一般人への拷問や虐殺といった残虐行為はタブー視され、長らく語られることはありませんでした。
しかし、2000年、ポール・オサレス(Paul Aussaresses)元陸軍准将がル・モンド(Le Monde)紙のインタビュー内で、「フランスを守るために拷問を行った」と述べ、更に、翌年に出版された手記「特殊任務 アルジェリア1955-1957( Services spéciaux, Algérie 1955-1957)」内でアルジェリア戦争で拷問を行った事を認めています。また、オサレス元准将の没後に出版された書籍内では、拷問によって数十人を死亡に追いやったことも認めていて、物議を醸しました。
政府はこれに対し、拷問などの行為を黙認していたことを認めていますが、当時のジャック・シラク(Jacques Chirac)大統領がオサレス元准将の勲章をはく奪することで、過熱していた世論を封印させました。
活動家の妻がサルコジ大統領へ書簡
アルジェリア戦争当時に、25歳でフランス軍に捉えられ拷問を受けた後に行方がわからなくなったモーリス・オーダン氏。その妻のジョゼット・オーダン(Josette Audin)氏が、夫の死の真相究明を求めて、2007年に当時のニコラ・サルコジ(Nicolas Sarközy)元大統領に対して書簡を送っていましたが、返事はありませんでした。
先述したオサレス元准将は、モーリス・オーダン氏に対しても「我々は、彼を殺した。我々は、アラブ人が殺したと見せかけるためにナイフを使って彼を殺した」と述べています。
マクロン大統領が活動家の妻の家を訪問
マクロン大統領は13日、フランス軍によるオーダン氏の拷問、殺害を認める声明を発表しました。また、当時は反対勢力に対して治安部隊が逮捕・拘留する法律があったことも説明し、法律のもとで拷問が行われていたと述べ、国家責任であることを認める発言をしました。
同日午後、マクロン大統領はパリ郊外のジョゼット・オーダン氏のもとを訪れ、「彼の死は国家責任である。赦しを請う」と述べました。
マクロン大統領は昨年行われた大統領選挙の演説の中で、植民地支配について「人道に対する罪」と述べており、過去に行われた残虐行為に対して向かい合うべきだと表明していました。フランスの歴代大統領の中で、アルジェリア戦争時のフランス軍による拷問、処刑などの残虐行為を公式に認めたのはマクロン大統領が初めてです。
執筆:Daisuke