10日(日)午後、「定期検診」の為にスイスのジュネーブ(Genève)を訪れていたアルジェリアのアブデルアジズ・ブーテフリカ(Abdelaziz Bouteflika/عبد العزيز بوتفليقة)大統領が、2週間ぶりにアルジェリアに戻りました。ブーテフリカ大統領は、4月18日(木)に実施される大統領選挙に、5期目を目指して出馬する意向を示していますが、独裁者として知られ、高齢で健康状態が良くないブーテフリカ大統領の続投に、アルジェリア国内だけでなく、フランスでも辞任を要求する声が高まっています。
ブーテフリカ大統領
ブーテフリカ大統領は82歳と高齢で、2013年に脳梗塞で倒れて以来、車いす生活を余儀なくされ、公の場にもほとんど姿を現すことはありません。また、公の場に出る際もほとんど発言をすることはなく、大統領として職務を行う能力の有無が問題視されています。
今回も定期健診(大統領府発表)の為にジュネーブに2週間滞在していました。
人物
1937年、当時のフランス領で現在はモロッコの街ウジダ(Oujda/وجدة)で生まれたブーテフリカ大統領は、1956年に、対フランス解放闘争に民族解放軍(ALN/Armée de libération nationale)として参加、1962年にアルジェリアが独立すると同時に、25歳という若さで当時の政権に青年・スポーツ・観光相として入閣します。その翌年、26歳で外務大臣に任命されます。
1978年のフーアリ・ブーメディエン(Houari Boumediene/ محمد بوخروبة)大統領の死去の際には後継者と言われていましたが、1979年に失脚し、翌年には政府から追放され、1981年にはアルジェリア民族解放戦線(FNL/Front de Libération Nationale)中央委員会から追放されます。
大統領就任
1999年の大統領選の際、「不正選挙」として全野党がボイコットする中、与党のアルジェリア民族解放戦線から立候補し、73.8パーセントの得票率を獲得し当選、大統領に就任します。
その後、司法、教育、行政の3大改革を推し進め、治安の維持、社会の安定につとめ、市場経済の導入を図ります。90年代のテロによって大きく悪化した、国際社会におけるアルジェリアのイメージの改善に取り組み、天然ガスや石油などの豊富な天然資源の輸出による経済発展を成し遂げるなど、アルジェリアの経済発展に大きく貢献します。
一方で、失業率の高さや資源輸出による経済発展が市民に還元されない、また、大統領の周りをすべて身内で固めていることなどが野党から批判されるようになります。
また、大統領選の際は、野党候補のポスターが破られる、野党候補の政見放送や集会などを放送しないなど、自身に有利になるように報道を行うなど、独裁的な手法が批判の対象となっています。検閲を強化し、自身に批判的なフランスの3つの週刊誌を販売禁止にするなどの、報道規制も行っています。
アラブの春以降急激に反ブーテフリカ運動が活発化
2011年の、チュニジアで起こった民主化を求めるジャスミン革命をきっかけにアラブ諸国で広がった、長期にわたる独裁政権に対する反対運動「アラブの春」以降、アルジェリアでも、長年独裁的な政権を続けてきたブーテフリカ大統領に対する反対運動が活発化します。
大統領選に出馬を表明
ブーテフリカ大統領は、4月18日に行われる次期大統領選に出馬を表明しています。
出馬を表明した2月下旬以降、ブーテフリカ大統領に対する抗議活動が活発化していますが、3月8日(金)、首都のアルジェでこれまでで最大規模の抗議デモが行われ、大統領の辞任を求める数十万人がデモに参加し、195人が逮捕され、警官隊も100名以上が負傷する騒ぎとなりました。
10日(日)も引き続き抗議活動が行われ、鉄道など公共交通機関がストップし、商店なども閉鎖されました。また、多くのアルジェリア系移民がいるフランス国内でも同様に、8日から10日にかけて、ブーテフリカ大統領に対する抗議活動が各地で行われました。
大統領選挙が近づくにつれ、抗議活動が活発化することが予想され、フランスでも大規模な抗議活動へ発展することが考えられます。フランス滞在中の方は、最新の情報を常に確認し、身の安全の確保に努めてください。
追記 2019.03.12
12日(火)、ブーテフリカ大統領が次期大統領選出馬を断念した、と報道がありました。加熱するブーテフリカ大統領への辞任要求を受けての判断と見られています。
執筆:Daisuke