世紀のシェフと言われ、ミシュラン史上最も多くの星を獲得したフランス料理界の巨匠、ジョエル・ロブション(Joël Robuchon)氏が、昨日(8月6日)、滞在先のスイスで膵(すい)臓ガンの為、73歳で亡くなりました。
※フランス語では「ロビュション」と発音しますが、氏の日本語公式ホームページ上の記載に合わせ、「ロブション」と記載しています。
ロブション氏の経歴
15歳 料理の道へ
1945年4月7日、フランス中西部のポワティエ(Poitiers)で生まれ、1960年、15歳の時に両親が離婚したのを機に仕事を探し、地元のホテル、ルレ・ドゥ・ポワティエ(Relais de Poitiers)で見習いとして働き始めたのが料理の世界への第一歩です。
31歳 M.O.F.獲得
1974年、若干29歳にして、パリのコンコルド・ラ・ファイエット(Concorde La Fayette)ホテルで総料理長に就任します。1976年31歳の時には、日本の人間国宝に相当する、M.O.F.(Meilleur Ouvrier de France 国家最優秀職人賞)を獲得します。この時、「真価が問われるのは、タイトルを獲得した時ではなく、その後だ。そのタイトルにふさわしくあろうと努力しなければ、意味がない」と述べています。
33歳 初のミシュラン二つ星を獲得
1978年、33歳の時に、料理部長を務めていた旧・日航ホテルパリ(Hotel Nikko de Paris、現・ノヴォテル・パリ・トゥール・エッフェル Novotel Paris Centre Tour Eiffel)のレストラン「レ・セレブリテ(Les Celebrités)で初めて、ミシュランガイドの二つ星を獲得。
1981年、36歳で独立し、パリの高級住宅街である16区のロンシャン通り(Rue de Longchamp)に自身の店「ジャマン(Jamin)」(後にジョエル・ロブションに改名)を開きます。
39歳 史上最短でミシュラン三ツ星を獲得
1984年、39歳の時、史上最短でミシュランガイドの三ツ星を獲得します。
49歳 日本に進出
1994年、49歳で東京の恵比寿にあるシャトーレストラン「タイユバン・ロブション(Taillevent Robuchon)」をプロデュースし、料理監督長を努めます。
51歳 惜しまれつつ現役から引退を表明
「料理人は50歳を超えると腕が衰える。だから私は最高の状態である今、引退を決意した」と現役を引退することを表明しました。この時、13年間ミシュランガイドの三つ星を維持することの緊張感や大変さなどを口にしています。
ロブション氏と共に3年半働いたアラン・ぺグレ(Alain Pégouret)氏は、「彼は大きな家であり、完璧だった。彼はいつも私たちに、自分自身に疑問を持つように教えていていた。彼の仕事は細部まで完璧で、彼と共に働くのは最も先進的だった」と述べています。
また、料理評論家でジャーナリストのぺリコ・レガッス(Périco Légasse)氏は、「彼は、料理というのは芸術ではなく技術職である、といつも語っていた」と彼の仕事へのこだわりを評価しています。
引退後は後進の育成とプロデュースに全力を注ぐ
引退を表明した後は、レストランのプロデュースや後進の育成に全力を注ぎ、彼の料理への信念を次の料理人たちへ託しました。
58歳 現役復帰
一度は現役を退いたロブション氏ですが、2003年、58歳の時、彼の現役復帰を熱望する周囲の声にこたえる形で、現役復帰を果たしました。その時作られたのが、東京・六本木ヒルズとパリにできた新しいコンセプトのレストラン「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション(L’ATELIER de Joël Robuchon)」です。
日本の寿司屋のカウンター席からヒントを得たもので、カウンターに座った客と料理人の距離が近く、料理人が働く姿が目の前で見えるという、これまでのフランス料理の常識を覆す、全く新しいタイプのレストランです。
59歳 次々と東京に新店舗を構える
2004年、59歳で、東京の恵比寿に「ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション(LA TABLE de Joël Robuchon)」、「ラ・ブティック・ドゥ・ジョエル・ロブション(LA BOUTIQUE de Joël Robuchon)」、そして日本橋の高島屋に「ル・カフェ・ドゥ・ジョエル・ロブション(LE CAFE de Joël Robuchon)」を次々とオープンさせます。
2003年以降、ロブション氏は、日本とフランスの他にも、ロンドン、ニューヨーク、ラスベガス、香港、台北、上海、シンガポール、バンコク、モントリオールに「ラトリエ(L’ATELIER)」をオープンさせます。
ロブション氏は一般人にもわかりやすく料理を紹介
ロブション氏は、これまでにミシュランガイドの星を32個獲得していて、世界最タイ記録を誇ります。それだけの星の数を獲得している一方で、ロブション氏は料理をわかりやすく一般人にも紹介していることで知られ、料理界だけでなく、一般人からも愛された人物でした。
また、「Le meilleur est souvent le plus simple(最高のものは、もっともシンプルなものが多いのです)」というのが口癖のロブション氏は、よくシンプルで美味しい料理をお茶の間に届けていました。
料理に対して厳格で完璧主義である一方で、親しみやすい人柄で愛されたロブション氏。彼の死に各方面から悲しみの声が届いています。
Tellement triste d’apprendre ce matin la disparition de cet immense chef. Le plus grand technicien que la cuisine française ait eu. Un exemple pour des générations de chefs, ce travail et cette rigueur qui mènent au titre d’Un des Meilleurs Ouvriers de France. #REP pic.twitter.com/IRxwN1RKJD
— Guillaume Gomez Chef (@ggomez_chef) 2018年8月6日
フランスの大統領府(エリゼ宮 Palais de l’Élysée)の料理長を務めるギヨーム・ゴメス(Guillaume Gomez)氏のツイート
「今朝、偉大なシェフを失ったことを知り、本当に悲しい。フランス料理界のもっとも偉大な技術者である。次代を担う料理人のお手本であり、その仕事ぶりと厳格さが国家最優秀職人賞(M.O.F.)の獲得をもたらしたのだ。」
また、前出の料理評論家のぺリコ・レガッス氏は「ポール・ボキューズ(Paul Bocuse)の死以降、これはもうトラウマだ。彼もまたフランス料理界の偉人であった」と述べています。
新店舗オープンの為の滞在先での死去
ロブション氏の友人で料理評論家のジル・ピュドゥロウスキ(Gilles Pudlowski)氏によると、ロブション氏は新店舗オープンの為に滞在していたスイスのジュネーブ(Genève)で膵(すい)臓癌が原因で亡くなったということです。
2018年に入り、1月のボキューズ氏の死去、そして今回のロブション氏の死去と、フランス料理界における2名の偉人の早すぎる死にフランス中が悲しみに包まれています。
執筆:Daisuke