パリ同時多発テロから10年 「忘れない」パリ市民

2025.11.14

13Novembreパリ、レピュブリック広場のマリアンヌ像(11月12日、筆者撮影)

2025年11月14日(金)、2015年のパリ同時多発テロから10年が経った13日、132人(自殺者2名を含む)の犠牲者を出した事件現場、コンサートホール「バタクラン劇場」、国立スタジアム「スタッド・ド・フランス」を含む市内数カ所で追悼式が行われました。劇場近くのレピュブリック広場に建つフランスの自由と共和国の象徴、マリアンヌ像(Marianne)は、その一週間前から三色旗色にライトアップされ、周りには多くの献花やろうそくが置かれています。パリ市庁舎裏のサン=ジェルベ広場(place Saint-Gervais)は、11月13日の犠牲者のメモリアル公園に改築され、この日こけら落としが行われました。

 

あの日、狙われたパリ市民の娯楽の場

10年前の11月13日、テロリストたちはスタッド・ド・フランス競技場の入り口付近で発砲、その直後、パリ11区にあるコンサートホール、バタクラン内に数人が侵入、人質にとった観客に向け機関銃を発砲、無差別殺人を開始しました。数時間後、フランス国歌警察介入部隊がようやく人質を解放した時、ホールのフロアは血の海、ホールの前には逃げ出したり運び出された数百人の救助で、現場は野戦病院と化していました。

同時に別の犯人グループはパリ10区、11区にあるカフェのテラス数カ所に向け発砲し始めます。

この日犠牲になった人は130人、うち90人がバタクラン劇場で、アメリカのロックバンド「イーグルス・オブ・デスメタル」(Eagles of Death Metal)のコンサート中に事件に遭いました。

10区、11区にある、カフェ、ル・カリオン(Le Carillon)、ル・プチ・カンボッジュ(Le Petit Cambodge)、ラ・ボンヌ・ビエール(La Bonne Bière)、ア・ラ・テラス(A La Terrasse)、ル・コーザ・ノストラ(Le Cosa Nostra)、そしてコントワール・ヴォルテール(Comptoir Voltaire)では、別のテロリストグループがテラスに向けて発砲し、多くの人が亡くなっています。

重傷者を含むケガ人は300人を超え、生存者のうち2人が数年後に自殺しています。

 

テロに屈しないパリ市民、あの日から人生が変わった

当時、パリ市民の間では、身近な人が犠牲になったり、知り合いが生存者だったり、事件現場近くにいた人、銃声を聞いた人、事件現場に行くはずだった人など、直接的でなくてもなにかしら身近に事件にかかわった人の話を聞くことが多々あり、だれにとっても他人事ではありませんでした。

あの日、友人の一人をバタクランで亡くした、バンジャマン(Benjamin)さんは、その日18区のバーでDJの仕事をしていました。

友人が犠牲になったバンジャマンさん、「テロに屈しない」

事件が起こった直後は、深く悲しむというより、これまで当然だとおもっていた「一部の狂った連中に、今までの自由な生活を奪われてたまるものか」と、テロに屈しないことを見せるためにわざわざカフェのテラスで飲んだり、多くのコンサートに足を運びました。

毎年バタクランに献花に来るというバンジャマンさん、以前と変わったのは、ライブハウスやコンサートホールに入ると「必ず非常口の位置を確認する」こと、そして「パリは再び無邪気な街になったけど、人生は短いから目いっぱい楽しもう」と肝に銘じたことだと言います。

テロ現場に行くはずだったアリアーヌさん

事件が起きたカフェ、ラ・ボンヌ・ビエールの近所に住み、あの日、店にディナーに行く予定だったアリアーヌ(Ariane)さんは、約束の時間前、21時過ぎにいったん帰宅したところ、耳をつんざくような銃声を聞きました。

事件直後、再開した店に連帯感から足を運んだものの、「飲食する勇気はなかった」と述べています。あれから近所の雰囲気は変わり、「子供たちが献花の前を通って学校に行くというのは何とも言えない重苦しさを感じる」と言います。毎年11月13日の追悼セレモニーには参加しています。

終わりなき夜を過ごした、ボランティア救助隊員、エメルさん

赤十字社(Croix-Rouge)で救助のボランティア活動をしていたエメル(Aimel)さんは、あの日、本部からSMSで「一刻も早くレピュブリック広場に集結するように」とのメッセージを受け取りました。

このメッセージを「傷跡のように、消さずに残している」という彼女は、その日の救助活動を昨日のことのように覚えています。彼女のミッションは、11区の区役所内に設けられた会場で、ケガ人とショックを受けた被害者たちのメンタル面でのサポートと、名簿への登録でした。

あれからエメルさんは、決意を新たにボランティアでの救助活動に力をいれています。

 

なぜフランスは狙われたのか?テロが続いた2015年

犯行グループは、当時活発だった「イスラム国」のテロリストで、2015年の1月にはイスラム教の教祖ムハンマドの風刺画を表紙にした雑誌シャルリーエブド(Charlie Hebdo)の編集部、およびユダヤ系スーパー「イーペーカシェール」が襲われました。

フランス語で「ライシテ」(laïcité)と呼ばれる、政教分離を守るフランスの法律が「反イスラム」と同国では提示されていることや、アフリカにおけるテロ組織一掃の軍事活動(2024年に撤収)などからフランスは「敵国」とみなされたことが標的にされた主な理由だと、フランス国際関係局(主にテロリストの追跡が任務)のマルク・エッケール(Marc Hecker)氏は述べています。

同局は、危険思想人物を割り出し、追跡を行うことで多くのテロ事件を未然に防いでいます。

執筆:マダム・カトウ

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