2023年7月26日(水)、フランスで生まれたジャイアントパンダ第一号、ユアン・メン(圆梦:Yuan Meng)が昨日9時にシュルシェール(Loir-et-Cher)県サン=テニャン(Saint-Aignan)のボーバル動物園(zoo de Beauval)を出発、当初の契約に基づいて中国に返還されました。
コロナ禍で大幅に遅れた、ユアン・メンの返還
フランスのジャイアントパンダも、他国にいるパンダ同様中国から貸し出されているにすぎません。
2017年、パリの南約200kmにあるボーバル動物園で生まれたユアン・メンは、本来ならもうとっくに中国に返還されているはずでしたが、2020年から続いたコロナ禍のため残留していました。
園長のロドルフ・ドロール(Rodolphe Delord)氏によると、今回の返還は特に繁殖が目的で、6歳のユアン・メイは到着後中国の四川省成都市のパンダ繁殖センターで飼育され、そこで近い将来全く血縁関係のないメスのパンダとペアリングし繁殖させるとのこと。
フランスでジャイアントパンダがいる動物園は、現在ボーバル動物園のみです。
ユアン・メンの両親、来仏から11年
2012年、5年間の中国政府との交渉の末、ユアン・メンの両親、ファン・ファン(Huan Huan)とメン・ズィー(Yuan Zi)が来仏しました。
この二頭からはさらに2021年、双子の姉妹フアン・リリ(欢黎黎:Huan Li Li )とユアン・デゥデゥ(园嘟嘟:Yuan Du Du)が生まれています。
ちなみにファン・ファンとメン・ズィーの二頭は2027年までフランスに滞在することになっています。
最後の朝食に100人、道中のエサ90kg
一昨日24日は、ユアン・メンの園内最後の朝食には在仏中国大使および100人の観衆が集まりました。
体重120キロのユアン・メンは空輸されますが、そのために作られた特別な檻は数日前から園内に設置され、出入りの練習をさせていました。
この檻はパリ、シャルル・ド・ゴール空港(Aéroport Charles de Gaulle)までエアコン付きのトラックで、フランス憲兵隊にエスコートされ運ばれます。
フライトは中国国際航空で、このパンダが生まれたときの獣医とその時の世話係もユアンメイのフライトに同乗し、片道12時間の旅のために、好物の熊笹が90キロも積まれます。
人気のジャイアントパンダ、希少動物保護の大切さ、周知に貢献
ドロール園長は、動物園の飼育係たちも6年前ユアン・メンが生まれた時から、いつか中国に返されることはわかっていたものの、「いざ出発すると寂しいものです」と語っています。
今回の返還でも別れを惜しむ観衆が集まるなど、ジャイアントパンダは特に人々の関心が高く、園長はパンダがこういった絶滅の危機にさらされる動物の保護の大切さを理解してもらうための絶好の動物だ、と言います。
そしてユアン・メンの未来の子供達を中国の自然に戻す事で、ジャイアントパンダが絶滅することなく今後も繁殖していくことを願っています。
園長も寂しいのか、早速今年の11月に中国まで会いに行く予定です。その際には、ブリジット・マクロン(Brigitte Macron)大統領夫人も誘っているとのことです。
ブリジットはユアン・メンが生まれた時、「後見人」に任命されています。
フランスにおける中国のパンダ外交
ジャイアントパンダが最初に来たのは1939年、中国から「ハッピー」という名前のパンダを買ったドイツの動物商がヨーロッパツアーに連れて来た時に2週間ほどヴァンセンヌ動物園に寄ったのが最初です。
1950年代に入ると、中国政府はいわゆる「パンダ外交」を開始、各国との友好のシンボルとして当初はパンダを「贈呈」していました。
パンダ人気が海外で高まると、高値で売れることから乱獲され、繁殖力が低いことも重なってパンダが絶滅の危機にさらされるようになりました。
ワシントン条約で輸出が禁止されると、中国政府は贈呈から「貸し出し」に転換しています。
1973年、ポンピドゥ大統領が中国を訪問、周恩来首相と会談した後、エン・エン(Yen Yen)とリ・リ(Li Li)が贈られました。到着後、2頭ともオスだということが判明しています。
リ・リは1年後に死んでしまいますが、エン・エンは2000年まで27歳でなくなるまで、ヴァンセンヌ動物園で過ごし来訪者に親しまれていました。
その後11年間の空白期間を経て、フランスで再びパンダが見られるようになるには、2012年のユアン・メンの両親の到着を待つことになります。
執筆:マダム・カトウ