2024年8月27日(火)、パリ2024パラリンピック開会式が28日(木)に開催されます。その聖火が25日(日)イギリスからユーロトンネルをリレーしてフランスに到着しました。聖火がギリシャからではなくイギリスから、に驚いた方も多いでしょう。実はパラリンピック発祥の地はイギリスなのです。
パラリンピック聖火、英アスリートらがユーロトンネルをリレー
開会式の3日前、パラリンピックの聖火は、24人のイギリスのアスリートたちにより、無事ドーバー海峡の反対側、北フランスの町コケル(Coquelles)に無事到着し、フランス人車いすフェンシングのメダリスト、エマニュエル・アスマン(Emmanuelle Assmann)選手に手渡されました。
カレー市(Calais)に運ばれた聖火は、12のトーチに点火され、フランス中をリレーで回ったのち、28日の開会式にパリに到着することになっています。
パラリンピック76周年、戦後のイギリスが発祥の地
ロンドン北西にあるストーク・マンデヴィール(Stoke Mandeville)、人口わずか6,000人余りのこの小さな村は、4年に一回世界の注目を浴びます。
1948年、第二次世界大戦直後、この村にある病院で戦傷者の治療をしていたドイツ系精神科医、ルードヴィク・グットマン(Ludwig Guttmann)氏は、患者の心身の回復を早めるための方法を模索していました。
戦争で脊髄を損傷し歩行不能になった元兵士たち、当時彼らの寿命は2年、最大のケアは優しく労わることだとされていました。
ロンドン五輪に合わせ、ロンドン北西の村で医師がスポーツ大会
ちょうどその時、14回目のオリンピックがイギリスで開催されるというニュースが発表されました。
これにヒントを得たグットマン医師は、戦争で体や機能の一部を失った患者たちがスポーツで発奮し、自信や尊厳を取り戻し、ひいては社会復帰するためのきっかけになると確信、車いすでもできるアーチェリーやバスケットボールから派生したネットボールなどの競技を行うことを考えます。
そして同年7月29日、ロンドン五輪開会式の日に、 世界車いす・義肢大会(Jeux mondiaux des chaises roulantes et des amputés)と名付けた競技会を開催します。
この大会には2人の女性を含む、16人の退役軍人らが参加しました。
「できなくなったこと」ではなく、「できること」に着目のポジティブ思考で社会復帰へ
患者の一人は、「(自分に残されたことは)神に召されるのをただ待つことだけだ」と言いました。私は「じゃあ待っている間に少しトレーニングしよう」と答えました。
―1962年、イギリスタイムズ紙主催の記者会見にて、グットマン氏
夢はバリアフリーのオリンピック
最初の大会から4年後、世界ストーク・マンデヴィール競技会(”Jeux internationaux de Stoke Mandeville”:原題は英語)と改名された大会が開催され、オランダからも退役軍人たちが参加します。
開会式の演説で、グットマン医師は「いつの日かハンディキャップを負った人のためのオリンピックが開催されることを夢見ている」と述べたと言われています。
1960年、ローマ五輪で最初のパラリンピックも前途多難
参加国や競技は徐々に増え、第9回ストーク・マンデヴィール競技会は、初めてイギリス国外、オリンピックの開催地と同じ都市、ローマで行われます。
24か国、400人が参加したこの大会が、現在、パラリンピック史上初の大会として認識されています。しかしながら、その後の大会は必ずしもオリンピックと二人三脚ではありませんでした。
1968年、メキシコ五輪の際、パラリンピックはイスラエル政府の要望でテルアビブで開催、1980年モスクワ大会は西側諸国がボイコット、パラリンピックはオランダ、アルンハイム(Arnhem)で開催されています。
「パラリンピック」の名称、84年ロス五輪から利用も、開催地は別
パラリンピック(”Jeux paralympiques” )という名称が正式に採用されたアメリカ大会ですが、オリンピックがロサンゼルスで開催されたのに対し、パラリンピックは立ってできる競技に限ってはニューヨーク、車いすの競技はその発祥の地、ストーク・マンデヴィール村で開催されています。
88年、ソウル五輪でようやくオリンピックと同地開催
ようやくオリンピックと同じ場所で競技が行われたソウル大会の翌年、89年9月22日に国際パラリンピック委員会 (Comité paralympique international:IPC)が発足します。
そして2001年、オリンピック開催地候補はパラリンピックも開催することが条件に加わりました。グットマン医師の競技会開催から実に50年以上がたって、ようやくオリンピック同様に世界に広く認知されるようになりました。
2021年東京大会では160か国、4,400人のアスリートが参加、パリ大会でも同規模の参加者が予定されています。
執筆:マダム・カトウ