皆さんすでにテレビや新聞などでご存知と思いますが、2015年1月7日午前11時半頃、パリ11区(métro5番線・Richard Lenoir 駅)にある新聞社「Charlie Hebdo」が2名のテロリストによって襲撃され、2名の警察官を含む合計12名が犠牲となりました。
翌8日にはパリ南部のMontrougeにて別のテロリストによる銃撃があり、警察官2名が死傷。翌9日はパリ20区Porte de Vincennes のユダヤ系スーパーなどで人質をとって立てこもり、うち4名を射殺。この一連のテロにより合計17名の尊い命が犠牲となりました。
犯人は「アラビア半島のアルカイダ」を名乗る3名とその内縁の妻1名(シリアに逃亡したとみられる)で、実行犯の3名は警官隊の突入の際に射殺されました。
事件発生当時の様子
現場近くに居合わせた
Charlie Hebdo 襲撃当時、僕はすぐ近くのBastille で友人と食事のために待ち合わせをしていました。今回はその時の様子、そしてその後のパリの様子についてお伝えします。当時まさかこのような事態になるとは思っていなかったため写真は撮っておらず、集会などの写真は友人のPaolo Dal Pra さんから提供していただきました。
テロ発生時…ものすごい数のパトカーや救急車
すぐそばと言っても実際には銃声などは聞こえず、僕たち一般市民はなにがあったのかまったく知りませんでした。その後ものすごい数のパトカーや救急車が集まり始め、Richard Lenoir 方面へ通じる道が封鎖されました。そこで初めて「なにかがあったのだ」ということが分かります。
地下鉄5番線では「現在、警察によりRichard Lenoir 駅が封鎖されていますので、当駅は通過します」という放送だけが流されます。テロがあったことは伏せられたまま「なにか大変なことが起きた」という不安な状態が続きます。
約1時間後…襲撃当時の動画が
銃撃テロがあったことが伝わり、スマートフォンなどで襲撃当時の動画などが確認できるようになります。絶え間なくパトカーが集まり、サイレンの音が鳴りやみません。
また、犯人が逃走してまだ捕まっていないという情報が出回り、あたりに緊張が走ります。その間も、携帯電話でインターネットが見られない人や言葉が分からない旅行者などのなかには、なにが起こったのかわからず不安そうにしている人がたくさんいました。
約2~3時間後…ただの銃撃事件ではない
テロで殺害された犠牲者の情報が出て、Charlie Hebdoの有名な漫画家やジャーナリストであるとわかり、衝撃が走ります。一緒にいたフランス人の友人がその時に受けたショックを見て、僕はこの事件がただの銃撃事件ではないということを実感します。
離れた場所では日常の風景
バスティーユ付近ではものすごい数の警官がいて、依然として道路の封鎖が続いていましたが、少し離れたマレ地区の中心へ移動すると日常の風景、そして大勢の観光客でにぎわっていました。
それも次第に重々しい雰囲気に
しかしマレ地区のユダヤ人街やシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝施設)付近では新たなテロに備え、全ての車・バイク・自転車での通行が規制されます。
武装警官や軍隊が大勢動員されて、あたりは一時、戦時中のような重々しい雰囲気に包まれていました。Soldes(セール)初日でもあり大勢の買い物客と観光客でごった返す街に、武装警官や兵隊が大勢いて異様な光景だったのを覚えています。街中をひっきりなしにパトカーが走り、パリ全体が緊張状態に包まれている、そんな雰囲気です。
パリ同時テロ事件(2)ドキュメント 1月7日夕~夜へ続きます。
執筆 Daisuke