パリで発生した銃撃テロ事件。その時パリの様子はどうだったのか。テロリストの名前やテロの背景などには触れず、パリの様子、そして僕が見たことのみを時系列でお伝えしています。
1月8日 日常の朝が始まる
パリ市民の多くが、眠れない不安な一夜をすごしました。街には相変わらず多くの警官が配備され、テロ事件が終結していないことを物語ります。自転車で通勤しようとしていたマダムが警官に制止され、自転車での通行はできないと言われ警官と争っています。
大きな変化はありませんが、確実に私たちの日常生活にテロの暗い影が忍び寄ってきている、そう感じました。
ショッピングセンター内にも武装警官や軍人が
ショッピングセンターの入り口では手荷物のチェックがあり、新たなテロへの警戒が高まっています。どこへいっても武装警官や兵隊が見回りをしています。普段であればパトロール中の警官の表情も穏やかなのですが、彼らからは一切笑顔は見られませんでした。
たまたまカフェで友人と出会った僕は、朝食を一緒にとることにします。周りの客や店員の話題はもっぱら銃撃テロ事件です。そして店内のテレビでは関連ニュースがエンドレスで流れます。
新たなテロ事件が発生
ちょうどMétro 4番線に乗ろうとしていた時、このような放送が流れます。「現在警察によってMontrougeが封鎖されているため、4番線の運転を見合わせています」。この時、パリの南のMontrougeで2名が警官と銃撃戦になり、1人が車で、もう1人が地下鉄で逃走したという情報が入ってきます。女性警官がこの銃撃により死亡。もう1人の警官も負傷。
この時点では昨日のCharlie Hebdo襲撃との関連性はまだわかっておらず、ニュースなどでは「関連はないものとみている」と報道されます。
正午、すべての地下鉄が黙祷のため停止
正午に地下鉄のすべての路線が、昨日の襲撃テロの犠牲者に追悼の意味を込めて、1分間停車し黙祷を捧げます。
この日も町中にはパトカーの音が鳴り響きます。パリでは日常の生活が始まっていますが、テロリストがいまだに逃走中であることに加え、Montrougeでの新たな事件に不安な一日を過ごすことになります。
夜、犠牲者への追悼の声が続々と
この日の夜もまたPlace de la République には多くの人が集まり、犠牲者への追悼と言論・表現の自由への声をあげます。
ソーシャルネットワークサービス上にはますます「Je suis Charlie」の文字が増えます。このころから、たまたま11区をパトロール中に、襲撃を終えて建物から出てきたテロリストと出くわし、無抵抗な状態で射殺された警官に対する追悼の言葉なども見られるようになります。
(写真提供・Paolo Dal Praさん)
1月9日 2件の事件発生
朝、1件目の人質立てこもり
翌9日、事件が大きく動きます。パリの北部、シャルルドゴール空港のすぐそば、ダマルタン・アン・ゴエルの印刷工場で、2名の男が人質1名をとって立てこもっているという情報が入ります。この2名の立てこもり犯は7日の新聞社襲撃事件の犯人と、ほぼ断定されます。
昼過ぎ、2件目の人質立てこもり
今度はパリ20区のPorte de Vincennes のユダヤ系スーパーで、男1名が多数の人質をとって立てこもっているという情報が入ります。Métro 1番線が通常運転できなくなり、周辺の学校は休校。スーパー周辺は封鎖されます。
この2件の立てこもりが前日、前々日のテロの犯人とほぼ確定されます。僕の友人たちの間では、犯人の場所が特定されたため、どこにいるかわからない恐怖からは解放された、という声が聞こえました。ただし依然としてテロの脅威から逃れられたわけではないので、緊張は続いています。
警官突入・テロリスト死亡
9日夕方、17時15分頃。2か所の立てこもり現場でほぼ同時に警官隊が突入し、テロリスト3名が射殺されます。Porte de Vincennes の現場では人質となった人々が解放されますが、4名の尊い命が犠牲となりました。この4名は警官隊が突入した時点ですでにテロリストにより殺されていた、というのが警察の発表です。
最もひどいテロ事件に
このテロ事件によって、合計17名もの尊い命が奪われました。テロリスト3名も警官隊によって射殺されました。フランスではこの40年間で最もひどいテロ事件だと言われています。
次回はパリ市民、フランス国民の行動をお伝えします。
執筆 Daisuke