パリで発生した同時テロ事件。その時パリの様子はどうだったのか。テロリストの名前やテロの背景などには触れず、パリの様子、そして僕が見たことのみを時系列でお伝えしています。
1月7日夕方
SNSに「Je suis Charlie」
夕方近くになり、フェイスブックなどのソーシャルネットワークサービス上には、プロフィール写真に「Je suis Charlie(私はシャルリー)」と書く人が多く出始めます。
これは、言論・表現の自由に対するテロ行為には屈さない、私たちはシャルリーエブドを支えるといった意味や、この時点で明らかになっていた12名の犠牲者に対する追悼の意味が込められています。
日本大使館から頻繁にメールが
その頃、在仏日本国大使館から在仏邦人や旅行をしている人、予定している人に対して「渡航情報」メールが届きます。以下のような内容です。
『オランド大統領は本事件をテロと断定しました。さらに同日,パリを含むイル・ド・フランス州におけるテロ警戒レベルが最高レベルである「攻撃の警戒」(alerte attentat)に引き上げられました。』(原文ママ)
このテロ警戒レベルの「攻撃の警戒」はいつどこでテロが発生してもおかしくない状況を指します。その後立て続けに何通も在仏日本国大使館から「渡航情報の発出」メールが届きます。これほど頻繁に渡航情報の発出メールが届くことはめったにありません。それだけことが重大だということが分かります。
1月7日夜
République広場に人が集まり始める
(写真提供・Paolo Dal Praさん)
夜になり、次第にPlace de la République に大勢の人が集まり始めます。このPlace de la Républiqueはデモやマニフェスタシオンなどの際に人が集まる場所としても有名です。あまりの人数にMétroのRépublique駅が封鎖され、この駅に乗り入れるすべての路線がこの駅を通過します。
僕はちょうど11番線に乗っていたのですが、状況が分からない観光客などは混乱をしていた様子でした。
不安な一夜を過ごすことに
この夜、République 広場では夜を徹して抗議集会が行われました。すでにテロリストたちはパリから離れている、という情報は入っていたのですが、パリ市民は不安な夜を過ごすことになります。
続きは次回にお伝えします。
執筆 Daisuke