ヨーロッパは多くの国が陸続きで、シェンゲン協定締約国間であれば国境でのパスポート確認はありません。共通通貨ユーロを採用する国が多く、国境地域では国は違っても言語は同じこともあり、知らないうちに国境を越えていた、ということも珍しくありません。
国境を越えて通勤する人も少なくなく、特にスイスはその高い賃金水準や経済的安定性から、フランスなどの近隣国から日々通勤している人々が多くいます。今回は、フランスに住みながら国境を超えてスイスで働く就業形態とその問題点についてご紹介します。
Frontalier とは
仕事でスイスのジュネーブ(Genève)を訪問することが多くなって以来、「frontalier」(フロンタリエ)という単語をよく耳にするようになりました。これは国境を越えて通勤する就労者のことを指し、しいて日本語に訳すと「越境通勤者」でしょうか。フランス語の「frontière(国境)」がベースの単語なので、スイスでは特にフランス語圏でよく言われるようです。
スイス連邦統計局のデータによると、スイスで就労するフロンタリエは2019年で約34万人、2024年時点では約40万人と年々増加しています。スイスの総人口が約900万人、就業人口が約530万人であることを考えると、その多さが分かります。特に医療やIT、金融、製造業など高度な専門性が求められる分野では、スイス国内の人材不足を補う形でフロンタリエの採用が進んでいます。
国別に見ると最多はフランス居住者で、全体の約6割、次いでイタリア居住者、ドイツ居住者と続きます。フランス居住のフロンタリエが多いことから、就業地域はフランスと隣接するジュネーブ州やバーゼル州が上位を占めています。
国境を越えて続くサイクリングロード。国境には小さな国名のパネルがあるだけで国境警備員などはいない
制度的な仕組み
スイス政府はフロンタリエを公式に承認し、特別な労働許可証を発行しています。発行にあたりスイスの社会保障制度に加入する義務が生じます。医療保険については、スイスと自国、どちらに加入するか選択可能です。一方で、スイス国内に居住していないことから失業保険は給付対象外です。
テレワークの普及でフロンタリエの働き方も変化しています。2025年1月からは、在宅勤務日数に応じて課税・保険適用を見直す新制度が導入されました。これによりフロンタリエは在宅勤務日数の申告が求められます。
国境を越えて通勤
フロンタリエは毎日「国際通勤」をしているわけですが、国境を越えているという意識は希薄です。特にジュネーブやバーゼルなどの都市部にはフランスから公共交通機関が伸びており、路線バスや電車でも国境を越えた通勤が可能です。フロンタリエにとっては、隣国ではなく隣町で働いているくらいの認識です。
ただスイスはEU加盟国ではないため、国境には税関と国境警備の警察署が置かれており、通過する人々を監視しています。一方でシェンゲン協定は批准しているため、国境でのパスポート提示は必要ありません。明らかに不審な車やEU圏外ナンバーのトラックなどが呼び止められているのを時々見かける程度です。
フランスHaute-Savoie地方のGaillard市とスイスのジュネーブ市の国境
高所得のフロンタリエ増加にともなう問題
スイス国内では、スイス人の雇用を奪っているという声は根強くあります。
またフロンタリエの居住するフランス側の街では、賃金水準の高いスイスで働く高所得者が増えることで、住宅価格や地域物価などが高騰しています。
たとえば、ジュネーブに隣接するFerney‑Voltaire市の2024年のアパートの平均価格は約4,800 ユーロ/㎡で、これはマルセイユよりも高くリヨンとほぼ同等です。スイスに隣接しているとはいえ、Auvergne-Rhône-Alpes地方の田舎町としては破格です。地元労働者にくらべ平均約2.7倍という給与水準の高いフロンタリエの購買力が、価格を押し上げていることは明らかです。
この傾向は、同じくジュネーブと接するHaute‑Savoie地方の町や、バーゼル通勤圏のアルザス地方の町でも見られます。実際に行ってみると、いろいろなところで新しいアパートの建設が進められています。
Ferney‑Voltaire市の住宅街。なんの変哲もない田舎町といった趣
このほかにも、フロンタリエの増加によるさまざまな問題が指摘されています。例えばHaute‑Savoie地方では住宅価格高騰のほか、スイスへの通勤にともなう交通渋滞や医療・公共サービスへの負担増などが起こり、社会的緊張を懸念する自治体もあります。
住民間の格差拡大も課題で、地元労働者はフロンタリエに比べ住居確保や住民サービスへのアクセスで不利という声が広がっています。国境を超えてジェントリフィケーション(Gentrification)が起こっているのです(ジェントリフィケーションについてはこの記事を参照)。
格差是正が急務
バブルともいえる地価の高騰や地域住民との間の格差拡大が問題となるなか、越境通勤者の数は今後も増加する見通しです。
そこで賃貸規制や地価抑制策、格差是正のための補助制度などを検討する地方自治体もあります。Haute‑Savoie地域では「フロンタリエ特区」を設けて地元住民とフロンタリエを分離する案が出ています。
他方で、越境通勤者が両国の経済に不可欠な役割を果たしていることも事実。フロンタリエと地域社会との共存と対策は、今後ますます重要な課題になります。
また通勤の利便性・税制の整備・社会保障の適用範囲など、スイスと周辺国の間で今後もより適切な調整が進めば、「フロンタリエ」は国境を越えた柔軟な労働モデルの象徴としてより注目されるかもしれません。
執筆 Takashi