19日(土)、フランスの革命家でフランス第一帝政の皇帝にも即位したナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769-1821/ナポレオン1世)の子孫で、ナポレオン7世のジャン=クリストフ・ナポレオン(Jean-Christophe Napoléon)さんと、ハプスブルク・ロートリンゲン家(Haus Habsburg-Lothringen)のオーストリア皇帝の子孫であるオリンピア・アルコ=ツィンネベルク(Olympia Arco-Zinneberg)さんが、パリのアンヴァリッド(Invalides)内のサン=ルイ大聖堂(La cathédrale Saint-Louis)で結婚式を挙げ、多くの貴族が出席しました。
ナポレオン公 ジャン=クリストフさん
ジャン=クリストフさんは、南フランスのサン=ラファエル(Saint-Raphaël)で、父シャルル・ナポレオン(Charles Napoléon)さんと、母ベアトリス・ドゥ・ブルボン・デ・ドゥ=シシル(Béatrice de Bourbon des Deux-Siciles)さんの間に、長男として生まれました。
フランス語、英語、スペイン語を自在に操り、ハーバード・ビジネス・スクール(Harvard Business School)で経営学修士号(MBA)を修め、アメリカの大手投資ファンド運用会社ブラックストーングループ(The Blackstone Group)で働いた経験を持ちます。
姉のカロリンヌ・ナポレオン(Caroline Napoléon)さんと二人姉弟で、ジャン=クリストフさんはボナパルト家の当主として「ナポレオン公(Prince Napoléon)」と呼ばれています。
父もナポレオン、母はブルボン家の王女
ジャン=クリストフさんの父、シャルルさんは本来ナポレオン7世に当たり、1978年に妻となるベアトリスさんと結婚し、娘のカロリンヌさんと息子のジャン=クリストフさんをもうけます。しかし、その後1989年にベアトリスさんと離婚し、1996年にコルシカ島出身で離婚歴のあるジャンヌ・フランソワーズ・ヴァリチオーニ(Jeanne Françoise Valliccioni)さんと再婚します。
7世の継承権はく奪
この時の結婚が、社会的・経済的また法的に大きく隔たりがある貴賤結婚(きせんけっこん)であるとして、シャルルさんの父(ジャン=クリストフさんの祖父)であり、ナポレオン6世である、ルイ・ナポレオン(Louis Napoléon)さんは、シャルルさんの当主継承権をはく奪し、遺書に継承権を孫のジャン=クリストフさんへ与えると記しました。
これによりジャン=クリストフさんがナポレオン7世となりましたが、現在シャルルさんは、自身がボナパルト家の当主であるとしてナポレオン7世を称しているため、ジャン=クリストフさんとの間でナポレオン7世を巡って競合の状態にあります。
お母さんはブルボン家
母のベアトリスさんは、19世紀に南イタリアとシチリア島に存在した両シチリア王国(伊:Regno delle Due Sicilie/仏:Royaume des Deux-Siciles)の王家、ブルボン=両シチリア家(Maison de Bourbon-Siciles)の王女です。
夫のシャルルさんとは遠縁にあたり、フランス君主の座を長年争ってきたボナパルト家とブルボン家が結婚するということで、当時は非常に注目されました。
アンヴァリッドで行われた結婚式
今回、ジャン=クリストフさんと結婚したオリンピアさんもまた、バイエルン王国(独:Königreich Bayern)の最後の国王の子孫である父と、最後のオーストリア皇帝(Kaiser von Österreich)カール1世(Karl I)の子孫である母を持つ、王族の家系です。
ジャン=クリストフさんとオリンピアさんは、10月17日(木)にヌイィ=シュル=セーヌ(Neuilly-sur-Seine)の市役所で民事婚を、そして、19日(土)にジャン=クリストフさんの祖先であるナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)の柩が置かれているアンヴァリッドの中にある、サン=ルイ大聖堂で宗教婚を行いました。
結婚式には、ヨーロッパの貴族が多く参列し、フランスでも大きく注目されました。
ナポレオンの子孫とオーストリア皇帝の子孫の結婚、何ともスケールが違いますが、お二人ともとても素敵ですね。
執筆:Daisuke