フランスには、美術史に名を残す重要な画家が数多く存在します。モネやルノアールの名に馴染みある人は多いかもしれません。今回ご紹介するポール・セザンヌ(Paul Cézanne)も、そうしたフランスを代表する画家の一人です。
この記事では、美術史を踏まえながらセザンヌについてご紹介します。
近代絵画の父
セザンヌは近代絵画の父とも言われています。それは、彼が生み出した絵画が後の画家たちに大きな影響を与えているからです。
ピカソは「セザンヌは私たちの先生だ」といっています。またマティスは購入したセザンヌの作品を生涯片時も離さず持っていたそうです。そのほかゴーギャンやモーリス・ドニなど多くの画家にとって、セザンヌは新しい絵画を創造する上で指針となる存在でした。
印象派の画家との交流
セザンヌは故郷エクス・アン・プロヴァンスの美術学校を卒業した後、パリに出てモネやルノアール、ピサロなど後に印象派を生み出す画家たちと交流し始めます。中でもピサロは年長者で先生のような存在であり、セザンヌとも馬があったようです。
セザンヌは、このピサロから印象派絵画の技法(対象を光による色彩のみで描く表現方法)を学んでいます。彼はのちにピサロのことを尊敬の念を込めて「素朴で農夫のようであり、尊敬すべき人」と評しており、かなり慕っていました。
キュビズム誕生に大きく関わる
先述のように、セザンヌはさまざまな画家にインスピレーションを与える存在でした。ピカソとジョルジュ・ブラックが生み出したキュビズム(違う角度から見た形を一つの絵に収める表現方法)もセザンヌの作品から展開されたものです。
では、多くの画家たちを魅了した彼の絵画とは、一体どんなものだったのでしょうか。
レオナルド・ダ・ビンチが生み出した「空気遠近法(遠くにあるものの輪郭を淡く、形をぼかして描く方法)」に代表されるような、以前は一つの視点しかなかった絵画表現に、より多面的な見方を加えたことがセザンヌの特徴です。
例えば二つのリンゴをテーブルの手前と奥に置いた場合、空気遠近法に従うと奥にあるリンゴをぼやかして描くことになります。しかしセザンヌはそうではなく、奥にあるリンゴにも手前のものと同様に強く焦点をあてて描きました。
つまり見たままを描くのではなく、複数の視点を取り入れて表現したのです。このような新しいアプローチが後のキュビズム誕生に大きく関わりました。
パリから離れた晩年
晩年になると徐々に絵を評価されるようになりましたが、生粋の人間嫌いでもあった彼は、芸術の中心地パリから離れて生まれ故郷で暮らすようになります。
彼の偏屈性を表す有名なエピソードがあります。人物を描いている時に少しでもモデルが動くと、「リンゴは動かない!」と叱ったのだそうです。
私も同じ画家として、制作中に動かれると集中力が削がれるという気持ちには同調しますが、リンゴ呼ばわりすることはさすがにできません。
そんなセザンヌも最晩年の頃になると信心深くなり、教会にも熱心に通ったと言われています。
彼は故郷のサント・ヴィクトワール山を描きに出かけるのが日課でした。そのさい雨に打たれて風邪をこじらせたことが原因で亡くなりました。絵を描くことが原因で亡くなったともいえるセザンヌは、ある意味で幸せな人生だったのかもしれません。
サント・ヴィクトワール山
彼の故郷にもぜひ
フランスを訪れたら、セザンヌが生まれ育ち、人生の最後までを過ごしたエクス・アン・プロヴァンスにも足を伸ばしてみてください。セザンヌの絵画が生まれた理由を感じとれるかもしれません。
また、この地には彼のアトリエも残されています。こちらもぜひ訪れてみてください。
執筆 KEIJI
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