日本も含め、世界中で移民の受け入れが社会・政治問題になっています。フランスもその例にもれません。近隣諸国と陸続きで、アフリカやアラブ、アジアとも歴史的に繋がりの深いフランスでは、移民の話題は新しいものではありません。
今回はフランスの移民の歴史、さらには日本人も含めたアジア系移民の歴史にフォーカスを当ててみたいと思います。
パリの移民史博物館
パリ東部12区、ヴァンセンヌの森のすぐ横に移民史博物館(Musée national de l’histoire de l’immigration)があります。ポルト・ドレ宮(Palais de la Porte Dorée)とも呼ばれているアールデコ様式の神殿のような建物で、もともと1931年の国際植民地博覧会の展示場として建てられました。内部では体育館のような大きな空間を取り囲むようにして、フランスにおける移民の歴史が包括的に展示されています。
この博物館が面白いのは、他国からフランスに来る移民だけではなく、フランスから他国へ出ていく移民にもスポットライトを当てていることです。政治体制がころころと変わる歴史を持つフランスでは、革命や戦争のたびに多くのフランス人が国外に流出しているのです。
ただこの記事ではフランスに来る外国人移民のことをテーマにしていきます。
フランスへの移民の歴史
ヨーロッパの国々は陸続きで国境を接しています。そのため移民や難民という言葉が生まれる前から、国境を超えた人々の移動は盛んに行われていました。
フランスにおいて外国からの「移民」を把握する制度が最初にできたのは、1830年からの7月王政の時とされています。1851年の国勢調査では、国内に居住する外国人はフランス人口の1%を占めていたようです。パリに限るとこの割合は6%まで上昇したとのこと。
日本で外国人が1%を超えたのは2000年なので、日本とは桁違いであることがよく分かります。
植民地政策により増えていく
19世紀も後半になると、近隣ベルギーのフランドル地方やイタリア、ポーランドから労働者として移住してくる人々が増えます。彼らはおもに工場や鉱山に携わっていました。
同じ頃、17世紀から始まっていたフランスの植民地拡大が加速します。フランスはアフリカ横断政策を掲げ、アフリカの西・北・中部地域の植民地化を進め、1895年にはフランス領西アフリカを成立させます。こういった背景から、これら植民地からのアフリカ系やアラブ系の移民もだんだんと増えていきます。
1931年には、フランスの植民地帝国の偉大さを示す目的で国際植民地博覧会が開催されます。その時にはすでに移民は総人口の7%を占めるまでになっていました。
直近2022年のデータでは、移民の割合は10%を超えています。ただしこれは外国で生まれフランスに合法的に居住している人のみなので、フランス生まれの移民2世や3世も含めるともっと増加しそうです。
ちなみに、日本の外国人人口比率は2023年時点で2.5%だそうです。
フランス国内のアジア系移民
歴史的・地理的関係の深さから、移民はアフリカ系、アラブ系、ヨーロッパ系で8割以上を占めます。アジア系移民は、2022年には移民全体の13.5%を占めており、出身国はトルコ、ベトナム、中国が多いとのこと。
日本人は、2020年には約2万4千人が居住しています(移民2世や3世はのぞく)。この数は韓国人とほぼ同規模、ベトナム人の約6分の1、中国人の約5分の1、カンボジア人の約3分の1です。
アジア系移民のおもな背景
ベトナム系やカンボジア系が多い背景には、インドシナ半島がフランスの植民地で古くから繋がりが深かったことがあります。
第1次および第2次世界大戦の際、フランス政府はインドシナ半島植民地の人々を兵士や労働者として大規模にリクルートしました。第1次世界大戦では約9万人以上が、第2次世界大戦では2万7千人以上がフランス本土に動員されたという記録があります。
戦後は彼らの多くが出身国に戻りますが、フランス本土に残った人たちもいます。また戦後もベトナム戦争やカンボジアのポル=ポト政権から逃れるために、インドシナ半島からの難民が多数フランスに到着しました。
1975年から90年の間にフランスが受け入れたインドシナ半島3カ国(ベトナム、カンボジア、ラオス)からの難民は、12万5千人に上るというデータもあります。
ヨーロッパ最大のアジア人街も
パリ13区には、通称「triangle de Choisy」と呼ばれるアジア人街があります。その歴史はまだ50年程度ですが、ヨーロッパでは最大とも言われます。
この地域はもともと、商業地や住宅地、娯楽施設などが混在するモダンな都市として建設が始まりました。ですが70年代にインドシナ半島からの難民が急激に増えたため、政府はこの地域に多い高層アパートを活用することに決めます。それ以降アジア人街として栄え始め、現在にいたっています。
フランスにおける日本人
日本人は移民としては存在感は低いものの、2国間の外交関係を樹立したのはアジア諸国の中ではタイと並んで最も早く、1862年にはアジア諸国で初の在外公館がパリとリヨンに開館しました。
ただ日本人の移民に経済的移民や戦争難民はほとんどいないため、70~80年代から大きく増えることはなく現在にいたっています。
日本も学ぶものがありそう
移民とは少し異なりますが、現在は学生の行き来も盛んです。21年には中国からの留学生が2万7千人、ベトナムから5,200人、韓国から2,300人がフランス国内に滞在しています。一方で日本からの留学生は1,300人にとどまります。
日本の若者が内向き志向になっているとよく言われます。日本国内でおおむね満足な生活ができているために外を見る必要がない、と前向きに解釈することもできます。ただ外国の状況に接して知見を深めることは、今後日本が移民受け入れ国として安定的に成長していくためにも必要なことではないかとも思います。
フランスの移民受け入れに関する歴史は、日本にとっても役立つものが多くあるのではないでしょうか。
移民史博物館(Musée national de l’histoire de l’immigration)
住所:Palais de la Porte Dorée, 293 Av. Daumesnil, 75012 Paris
開館時間:火曜〜金曜:10時〜17時30分、土曜・日曜:10時〜19時(毎週月曜、1月1日、5月1日、12月25日は閉館日)
入場料:大人10ユーロ(各月第1日曜日は入場無料)
HP:https://musee-egouts.paris.fr/
(2024年2月現在)
執筆 Takashi