10月11日(火)、パリ市議会(Conseil de Paris)はバジリカ聖堂のサクレ・クール寺院(Basilique du Sacré-Cœur)を歴史的建造物に指定することを決定しました。
長らくカトリック勢力と反教権主義の間で争われていた議論に決着がつき、サクレ・クール寺院は市から補助金を得ることができるようになります。
バジリカ聖堂サクレ・クール寺院
サクレ・クール寺院は、パリ市北部18区にあるモンマルトルの丘(la butte Montmartre)を代表する建物です。
ロマネスク様式・ビザンティン様式の白い石によってつくられた85メートルの高さの寺院で、年間1100万人が訪れるパリ最大級の観光スポットです。
19世紀末の建築
サクレ・クール寺院は、普仏戦争の敗北(1870年)またパリ=コミューンによる自治政府の統治(1871年3月〜同年5月)を経た1873年、フランス国民議会により建設が決まりました。
パリ第1大学講師のエリック・フルニエ(Eric Fournier)氏は、建設の背景としてまず、当時のパリ北西部が、カトリック勢力にとって「反抗的」に見えたため、布教のために寺院が必要とされたといいます。
またフルニエ氏は、1798年から続く革命運動の反動として、旧勢力としてのカトリックによる建築が求められたという背景も指摘しています。
以来サクレ・クール寺院は、当時の圧力的な道徳秩序を思い起こさせる建物としてとらえられてきました。政治家や歴史家の間では、単に「伝統」ある建物という以上の意味をもち、常にそのアイデンティティが問題とされてきたのです。
政治的対立の争点
さらに、共産党議員のラファエル・プリメ(Raphaëlle Primet)氏によれば、サクレ・クール寺院が建設される1875年から1923年までの間に3万人近くが亡くなったそうで、今回の決定は共産党員にとって「記憶を侮辱するような」ものだといいます。
パリ議会での決定に際しては、環境派や連合政党は棄権、極左の「不服従のフランス」(La France insoumise)に属するダニエル・シモネ(Danielle Simonnet)氏は反対票を投じました。
しかし前出のフルニエ氏は、サクレクール寺院のような建築物が時間を経て「身近な」ものとなっていく過程を考えれば、このような議論は「時代遅れ」だとコメントしています。
改修資金に
歴史的建造物に登録されることにより、パリ市はサクレ・クール寺院に補助金を支出することになります。
この資金は、パリ地域の文化行政 (Direction régionale des affaires culturelles, DRAC)によると、サクレ・クール寺院の改修に必要な予算の40%をカバーすることができるようです。
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— actu Paris (@actufrparis) October 12, 2022
寺院の神父ステファン・エスクレフ(Stéphane Esclef)氏は、たとえ歴史的には騒動があったとしても、改修などにかかるコストを考えないわけにはいかないとコメントしています。
改修においては、まず特に障がい者用のアクセスを改善すること、オルガンを改修すること、また、長期的には地下納骨堂(crypte)の一般公開の準備などに充てられる予定です。
また、モンマルトルの丘全体を、ユネスコ(UNESCO)の世界遺産に登録するという期待も膨らんでいます。
執筆あお
参照 公式HP La Basilique du Sacré Cœur de Montmartre