フランシスコ教皇死去 民衆に寄り添う人柄、フランスとの関係は

2025.04.22

Notre Dame de Paris

2025年4月22日(火)、復活祭の翌日21日(月)に亡くなったローマ教皇フランシスコは、過去3回もフランスを訪問しています。最後に訪れたのは昨年12月でしたが、火災から再建されたパリ・ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)の再開セレモニーという一大イベントには参加しませんでした。フランシスコ教皇とフランスとの関係はどうだったのでしょうか?昨日、パリ市はエッフェル塔のイルミネーションを消灯して追悼の意を表しました。

 

コルシカ島を選んだ教皇フランシスコ

昨年12月、世界各国の政治家や国家主席らが先を争ってノートルダム大聖堂の再開セレモニーに参加する中、期待されたローマ教皇は参加を拒否し、その一週間後、『民衆宗教に関するシンポジウム』に参加するためコルシカ島(Corse)アジャクシオ(Ajaccio)を訪問しています。

つまり、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio:フランシスコ教皇の本名)は、国家主席たちに囲まれた壮大なセレモニーよりも、民衆に寄り添った布教活動を選んだわけです。

フランスへの公式訪問はなし

フランシスコ教皇は在位期間中、欧州の主要国、スペイン、ドイツ、英国には一度も足を運びませんでした。そんな中フランスを3回訪問しており、同教皇が最も多く訪問した国の一つに挙げられます。

ただし、ヴァチカン政府としての「公式訪問」は一度もありませんでした。

貧困問題、地中海で命を落とす難民問題への対応に情熱

この2つのイベントの日付が近かったことから「わざわざパリを避けて通った」と解釈され、当時フランスのSNSやメディアでは「フランスはお仕置きを受けた」など、様々な憶測が飛び交っていました。

地中海に位置するコルシカ島を選んだもう一つの理由として、アフリカや中東から内戦をのがれ、命がけで欧州を目指す難民問題が挙げられます。この問題は、フランシスコ教皇が2013年の選出以来、繰り返し注目を促してきた重要な課題の一つです。

 

ストラスブール訪問も大聖堂には寄らず

フランシスコ教皇は2014年、EUの諸機関訪問のため、フランス東部のストラスブール(Strasbourg)を訪れていますが、フランスの信者たちの失望をしり目に、ストラスブール大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Strasbourg)には立ち寄りませんでした。

信者熱狂のマルセイユ訪問、「フランス訪問」ではない

2023年、南仏マルセイユ(Marseille)訪問の際、教皇は「マルセイユに行くのであって、フランスを訪問するわけではない」と強調しています。

この訪問はメディアで大々的に取り上げられ、政治的にも大きな反響がありました。マルセイユのヴェロドローム(Vélodrome)スタジアムに集まった6万人を前にしたミサの熱狂は、フランスのカトリック信者とフランソワ教皇の関係の深さを強調したものでした。

 

前任者らとは一線を画す、偉大なモニュメントより民衆

フランシスコ教皇は、フランスとの関係において、その前任者たちとは全く異色だったといえます。

ヨハネ=パウロ2世はフランスを8回訪問しており、1997年にはパリ西部のロンシャン競馬場(hippodrome de Longchamp)で、集まった100万人以上の信者を前にミサを行っています。

その後継者ベネディクト16世は、フランス文化を愛し、フランス語を話し、偉大な知性や神学論者の遺産を重んじる人物でした。2008年にフランスを訪れた際は、ノートルダム大聖堂を含むパリの主要なシンボルを訪れています。

一方、フランシスコ教皇は「偉大さを誇示するような、傲慢で少々高飛車な」イメージを好まなかったとヴァチカンは明らかにしています。

あくまでも民衆に寄り添う同教皇の人柄がうかがえます。

執筆:マダム・カトウ

オンラインフランス語学校アンサンブルアンフランセは、プロの講師によるマンツーマンのスカイプレッスンが1回1500円~受講できます。いつでもどこでも手軽に受講できる利便性と生徒一人一人にカスタマイズされた質の高いレッスンが好評です。→フランス語無料スカイプ体験レッスンはこちら メールマガジンであなたのフランス語学習をサポートする情報をお届けします。フランス語メールレッスン

Classement