現役アーティストがご案内!フランスの有名な画家は?③マティス編

2023.09.28


フランスには、美術史に大きな影響を与えた画家が多くいます。その中でもアンリ・マティス(Henri Matisse)は、20世紀の絵画史に名を残した画家といえます。彼の影響は現代の私たちの生活にも反映されており、世の中にあるデザインを見ると、マティスの絵のような図や模様がたくさん発見できるでしょう。

フランスの有名な画家を紹介するシリーズ、今回はマティスです。

 

遅咲きの画家

華々しくスマートな絵を描くイメージの強いマティスですが、そのキャリアのスタートは決して順調と言えるものではありませんでした。

もともと病気だったマティスは、穀物や塗料などを売る家業の商店を継ぐことができず、法律の道を志すことになります。パリで法律を学び法科適格試験に合格したのち、故郷にある法律事務所の見習いとして働き始めました。

療養が転機に

しかし間もなくマティスは長期入院することになります。その療養中に母から絵の具を贈られ、気晴らしに絵を描き始めたことがきっかけとなって、マティスは絵の道に進みたいと思うようになります。

良き師との出会い

画家を志すと決心した彼は国立美術学校を受験。入学はできなかったものの、前回記事(ドラクロワ編)でも触れた象徴派の画家で学校の教官だったギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)の目に留まり、彼から教えを受けることになります。

モローとの出会いは、マティスにとってかけがえのないものとなりました。モローはマティスの豊かな才能を潰すことなく、彼の絵画制作を応援します。モローは「君は対象物を単純化して、よりシンプルな絵画を生み出していくでしょう」と、のちの作風を予見するかのようなコメントを残しています。

国立美術学校には、その後5回受験して合格したそうです。

 

20世紀絵画の先駆者として

マティスはモローの助言や同年代の画家の影響を受けて、新しい試みを次々と実践していきます。印象派の影響を大きく受けた初期の点描から、独自に生み出した単純化された色彩表現まで、数多くの方法を試みました。

フォーヴイズムの旗手として

なかでもマティスが関わった絵画運動として有名なのが「フォーヴィズム」。同年代のアンドレ・ドラン(Andre Derain)やモーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck)らと共に起こしたムーブメントです。

fauvismeはフランス語で、「野獣派」を意味しています。当初このネーミングは肯定的なものではなく、批評家が皮肉を込めて名付けたものでした。野獣のように荒々しく醜い絵画という評価だったのです。

唯一無二の色彩表現

数々の絵画様式を身につけたマティスが最後にこだわったのが「色彩を形にすること」です。マティスは、純粋な色のハーモニーを考え原色に近い色彩を用いてデッサンし、絵画空間を作り続けました。

しかし後年は油彩などによるそうした表現に限界を感じ始めます。

そこで、輪をかけたように病魔が襲います。手術を受けて回復したものの、なかなか以前のようには体が動かず、絵筆を握ることもままならなくなりました。それからのマティスは、油絵ではなく切り紙によって絵画空間を作り出すようになります。

 

すべてが盛り込まれたロザリオ礼拝堂

マティスはその後、戦火を避けるため、また療養のためヴァンスに移り住みました。術後に看病をしてくれた修道女との繋がりで、その地にドミニコ修道会の礼拝堂を再建する仕事を受けることになりました。マティスは誠心誠意を持ってこの仕事に集中しました。

そして完成したのがロザリオ礼拝堂(La Chapelle du Rosaire)です。3年以上かけて制作されました。

当時マティスは「これは私が選んだ仕事ではなく、運命によって選ばれた仕事です。礼拝堂は、制作に生涯を捧げた私のゴールです」と語っています。

私も一度現地を訪れたことがありますが、まさにマティス芸術の全てが盛り込まれた空間と呼べるものでした。機会があればマティスの深い思想が込められたこの礼拝堂にも、ぜひ足を運んでみてください。

参考文献:
芸術新潮令和5年6月号「マティスのとびら〜解き放たれた色と形」
フランソワーズ・ジロー著「マティスとピカソ芸術家の友情」(河出書房新社)

執筆:KEIJI

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