フランス あれから5年、コロナ禍のロックダウンでなにが変わった

2025.03.21

2025年3月21日(金)、コロナ禍により2ヵ月あまりのロックダウンがフランス全国で行われてから5年、誰もいない静かだった街を懐かしむ人もいます。人々の人生や人生観を変えたこの一大事、メディアが取り上げ、当時を振り返っています。

 

だれもいないパリの街、鳥のさえずりが聞こえる

2020年3月17日、コロナが猛威をふるい、すべての病院がパンク状態、軍隊が野戦病院まで設営するという危機的な状況に陥ったフランスでは、苦肉の策として外出禁止令(ロックダウン)を発令しました。

国民は医療関係者、スーパーの店員、清掃員、運送や配達にかかわる人などのエッセンシャルワーカー以外、1日1時間の外出時間を除き自宅に閉じこもるという異例の事態となりました。

食料品店、薬局など一部の商店以外はすべて閉店、企業もすべてテレワーク、工場もごく一部をのぞき閉鎖され、街は閑散としている状態が解除までの8週間続きました。

 

ロックダウンを懐かしむ派、「毎年やってほしい」

サラ(Sara)さんはあの2ヵ月間を「すばらしい時間」として懐かしむ人の一人で、ロックダウンを毎年2ヵ月やって欲しい、というほどです。

ロックダウン中の街の様子について、彼女は「人っ子一人歩いていない街は静まりかえっており、パリの街中には普段見られない鳥や動物がいつもなら車がひっきりなしに通る大通りに現れたりと、自然が元気を取り戻し、まるで地球が息を吹き返したようだった」と描写しています。

また、仕事はフルリモートになったおかげで事務所のいやな雰囲気から離れることができました。

社会に本当に必要なものとはなにか?

誰が始めたのかわかりませんが、毎晩20時には窓を開けて病院で働く人たちに感謝の拍手をするのが日課になり、近所中に響き渡る拍手の音を聞くことで、他の人とのつながりが感じられました。

隣人の中には退屈しのぎにバルコニーで音楽を演奏したり、にわかDJをやって楽しませてくれる人もいたりしました。

ロックダウンのおかげで自分や家族と向き合う時間ができ、本当に重要なものはなにかが見えて、過剰消費などは社会にとって必ずしも必要なものではないと思い知らされました。

スローライフを満喫

オレリー(Aurélie)さんも「車の騒音ではなく鳥のさえずりを聞きながらバルコニーでテレワークをすることができた」とロックダウンをいい思い出として語っています。

確かに外出規制で自由ではありませんでしたが、そのおかげで過密スケジュールがなくなり、時がゆっくりと流れていったというアデル(Adel)さん、街の喧騒がなくなり、鳥のさえずりといった自然の音しか聞こえなかった「平穏な日々」を懐かしんでいます。

 

いつもやらないことを始めた、自転車、森の散歩

ロックダウンをきっかけに自転車に乗り始めたネリタ(Nérita)さんは、日の出とともに家をでて、車の通らない街中を走りました。

パリ南西の郊外に住むジネブ(Zineb)さん、これまでほとんど行ったことがなかった近くの森に外出禁止を無視して毎日でかけました。人っ子一人いませんが、たまに人にすれ違うとお互い「いたずらしてるところを見つかった子供」のような笑顔を交わしたといいます。

 

多数のパリ脱出組、その後の人生

政府のロックダウンから1日か2日かのわずかな時間に、多数のパリジャンがパリを脱出、地方のセカンドハウスや実家などに移動しました。

たまたま実家のあるブルターニュ地方にいたマリー=クリスティーヌ(Marie-Christine)さんもその一人。ヴァ―ル県(Var)に子供を連れて「避難?」しました。田舎で子供たちと「すばらしい」時間を過ごしています。

人生考えなおす時間ができ、会社を退職

ロックダウンが発表されたとき、たまたまブルターニュのセカンドハウスにいたというエリック(Eric)さん、パリに戻らないという選択をし、いまでも正しい判断だったと振り返っています。

仕事はテレワークで、毎日ビデオ会議をして過ごし、夕方はオンライン飲み会をして過ごし、普段やらない料理に挑戦したり、庭の草木を改めて楽しんだり、「時がゆっくりと流れていった」のを実感できたのが本当に良かったといいます。ただ一つだけ問題があったとすれば、「もうすこしでアル中になってたかも」とか。

エリックさんは55歳にして初めて「人生を振り返る」時間ができ、ロックダウン終了後、会社が募った希望退職に手をあげ辞職しました。

そして、念願の役職についたばかりで辞職した同僚のスティーヴン(Steven)さん同様、今でもまったく後悔していません。

 

ロックダウン中も働いていた人たち

看護師、医師などの医療関係者、および清掃員、スーパーなど食料品店の店員などはロックダウン中も働き続け、人々の生活を支えていました。

清掃員のフランク(Franck)さんはもその一人です。

清掃員は皆、1週間に1日か2日はロックダウンで自宅待機していましたが、道は空いているし、だれも電話してこないし、苦情を言う人もおらず「本当によかった」と当時を振り返っています。

食料品店を経営するジェラルド(Gérald)さんは、店の経営者として「最高の時期」だったといいます。

毎日通常より1時間早い18時に閉店していましたが、店は毎日お客さんで一杯、売り上げは最高でした。しかもお客さんに「働いてくれて、ありがとう」と感謝され、日曜は閉店なので家族と過ごすことができました。

人生、家族の大切さを実感

この時期、人生は短く、家族の大切さを改めて実感したというドミニクさん(Dominique)は、仕事的にはチームが一丸となり、マネージャーとしてはやりやすかったことをプラス面とするも、マイナス面としては、孫に会えなかったことを挙げています。

 

国がまとまっていた気がする

毎日死者の数が増え気が滅入る中、エリザベート(Elisabeth)さんは、毎晩20時、自宅のバルコニーでフライパンをスプーンでたたいて医療関係者を応援するのを唯一の楽しみにしていました。

近所中から聞こえる拍手の音に、「国中一丸となって戦っている気がした」と振り返る彼女は、今のフランスにはそれが全くないのが残念だと言います。

悲喜こもごも

毎日見知らぬ老人と会話して気を紛らわした、というエヴリン(Evelyne)さん、ロックダウンで酒量も増え、夫婦喧嘩が絶えず、結局「独身になった」というジェレミー(Jéremy)さんなど、一人ひとりがそれぞれいつもと違う経験をしたり、再発見をしたりという不思議な時間だったといえます。

街の静けさは懐かしいものの、海外在住者の一人として、日本行の飛行機が一機も飛ばなくなった時、それまで経験したことのない不安に駆られた事を思い出すのは、私だけでしょうか?

執筆:マダム・カトウ

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