ナポレオンの没後200年(1)その生涯と業績をふりかえる

2021.05.24

ナポレオン
今年2021年はナポレオン(Napoléon Bonaparte, 1769-1821)の没後200年です。フランスではこれを記念した式典が5月5日(水)に行われ、マクロン大統領が献花とスピーチを行いました。

今回はナポレオンの業績やフランスとの関係を振り返ってみましょう。そして次回の記事では、マクロン大統領のスピーチについて見てみます。

 

ナポレオンが眠るアンヴァリッド

マクロン大統領が献花に訪れたのはパリ7区にあるオテル・デ・ザンヴァリッド(Hôtel des Invalides、通称アンヴァリッド)。ナポレオンのお墓はアンヴァリッド敷地内にあるドーム教会(Dome)の地下墓所にあります。もとはイギリス領のセントヘレナ島にありましたが、1861年にアンヴァリッドへ移されました。

この地下墓所にはほかにもナポレオンの兄弟たちや、ナポレオンの側近であったベルトラン(Bertrand, 1773-1844)らも眠っています。

ナポレオンにまつわる品々も展示

アンヴァリッド内の軍事博物館は、古代から現在までの軍事品や関連する美術品などを収蔵しています。ナポレオンにまつわるものとしては、数々の軍事的な功績を讃えて贈られたピストルや、国家勲章であるレジオン・ドヌール顕飾などが展示されています。

 

ナポレオンの生涯…革命から皇帝へ

ナポレオンの生涯について、フランスの歴史とともに簡単におさらいしましょう。

生い立ちから第一帝政まで

ナポレオンは1769年、フランス南部のコルシカ島で生まれました。将校時代はパリで過ごし、この時に軍事的な技術だけでなく政治的な知識もたくわえます。大変な読書家であり、執筆にも精力的に取り組みました。

フランス革命期には、革命政府の軍人として名声を高めます。イタリア遠征でオーストリア軍を破りフランス国外にもその力を示しますが、エジプト遠征では失敗し、パリに戻ります。

そして1799年、混乱状態にあった総裁政府を打倒。ここで自らを「統領」とする政府を打ち立て、政治的な権力を握りました。1804年には皇帝ナポレオン1世として即位し、ローマ教皇のもとで戴冠式を行いました。フランス第一帝政の始まりです。

第一帝政から没落まで

ナポレオンは積極的に対外進出を図り、征服した地では革命の精神を広めました。しかし各地で反ナポレオンの民衆蜂起が起こり、それを抑制することは次第に難しくなっていきます。

オーストリア、プロイセン、ロシアによって追い込まれたナポレオンは1814年に退位し、イタリア領エルバ島に流されます。翌年パリに帰還しますが、1816年ワーテルローの戦いで英軍に破れ、南太平洋のセントヘレナ島に流されました。

そして1821年、セントヘレナ島にて51歳で息を引き取りました。

 

ナポレオンが現在のフランスに残したもの

ナポレオンは軍事的な成功だけではなく、現代フランス社会の基本となるさまざまな政治や社会のシステムを作り上げました

政治システムとしては、中央集権の制度、政府の諮問機関と裁判所を兼ねる国務院(Conseil d’Etat)のしくみ、戸籍制や民法・刑法など。社会システムとしては、日本の高校にあたる後期中等教育機関のリセ(lycée)や、理工系の高等教育機関であるエコール・ポリテクニーク(École polytechnique)、国立大学(université)などのしくみ、それに家族制度などです。

これらの制度は現在、フランスだけでなく多くの国で採用されており、ナポレオンの業績の大きさがうかがえます。

パリにあるナポレオンゆかりの地

ナポレオンが青年期を過ごした地として、また名声を高めたのちの政治的な中心地として、パリにはナポレオンゆかりの地がいくつもあります。

ナポレオン1世として戴冠式を行ったノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)や、二つの凱旋門マドレーヌ寺院(Église de la Madeleine)、そして今回マクロン大統領が訪れたアンヴァリッドなどです。

二つの凱旋門

ところで・・・パリには凱旋門が二つあることをご存知でしょうか?

一つ目は、かつてテュイルリー宮殿のあった広場にあるカルーゼル凱旋門(Arc de triomphe du Carrousel)です。ナポレオンが1805年アウステルリッツの戦いで勝利し帰還する時に建設を命じました。

二つ目はシャルル・ド・ゴール広場にあるエトワール凱旋門(Arc de triomphe de l’Étoile)です。カルーゼル凱旋門の2倍ほどの大きさで、凱旋門といえばこちらを思い浮かべる人が多いでしょう。カルーゼル凱旋門と同じ年に作成が命じられたのですが、完成までに30年を要したためナポレオンは目にすることなく亡くなってしまいました。

 

次回は…マクロン大統領の追悼に批判も

今回の記念式典でマクロン大統領は、ナポレオンの功績を讃えるスピーチを行いました。その内容はどのようなものだったのでしょうか? 「ナポレオンの没後200年(2)マクロン大統領の追悼に批判のわけは」に続きます。

執筆 あお

参考:
Musée de l’Armée 公式HP[2021.5.15]
杉本淑彦(2018)『ナポレオンー最後の専制君主,最初の近代政治家』岩波書店

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