2023年10月27日(金)、ツール・ド・フランス(le Tours de France)で世界に知られるフランス。自転車大国のこの国では1970年代初頭まで多くの国産メーカーが自転車を製造していました。グローバル化の流れで「メイドインフランス」の自転車はほぼ姿を消しましたが、再び復活の兆しが見えています。
年間100万台超の国産自転車、今では20台に3台のみ
1970年代まで、フランス製の自転車がフランスの自転車市場をほぼ独占していました。
1919年に創業、町工場だったメルシエ(Mercier)、1947年に兄弟3人で創業したルジョーヌ(Lejeune)、1925年にパーツ製造からスタートしたジタン(Gitane)など数々の国産自転車メーカーがひしめいていました。
1920年台に自転車製造の『黄金時代』に入ったサン=テティエンヌ(Saint-Étienne)市内には350以上も自転車関連の工場や工房などがありました。興味深いのは、当時はどこの武器工場でも、武器製造に使う機械を替えることなく、約30年間に渡り自転車も製造していました。
生産台数も増え始め、1970年代には100万台を超え、世界のリーダーの地位を誇っていました。
80年代のスーパーマーケットの台頭、「メイド・イン・チャイナ」へシフト
80年代に入り、「スーパーマーケット」の台頭ともに、自転車産業に逆風が吹き始めます。大手スーパーマーケットチェーンが、食料品や日用雑貨だけでなく、自転車も売り始めたからです。
最安値を求めるこれらの企業は、国産自転車の半額ほどの中国製自転車を販売始めると、国産メーカーのシェアは縮小しはじめ、自転車産業に限らず、フランスのあらゆる製造業で「特許、技術、製造」の全ての過程を中国へ移行、「工場のない企業」がもてはやされ、産業の空洞化が進みます。
自転車市場も、移動手段用のモデルでは飽和状態、またスポーツ用は、テニスなどの新しいスポーツに人気におされ、マーケットが縮小して行きます。
メルシエ社は1985年に倒産、ピークには200万台以上を生産し国内シェア80%を誇ったルジョーヌ社は1986年に事業を売却、ジタン社は1976年に自動車メーカーのルノー社に買収されています。
90年代、EUの「アンチ・ダンピング」法成立、欧州自転車産業に転機
安い中国製品の流入で欧州の産業空洞化で失業率が上がるなど深刻な状態になると、EUは中国製品に課税する法案を成立します。徴収した税金は加盟国内の工場新設などの補助金として使われています。
ポルトガルが欧州の「バイシクルバレー」、輸出の5割がフランス向け
この仕組みをうまく利用したポルトガルのアゲダ(Ageda)は、1990年半ば、落ち目になったセラミックの製造業から脱皮し、一転自転車製造に新規参入を遂げ。生産台数300万台で現在欧州最大の自転車生産国となりました。
生産された自転車の90%は輸出で、うち50%はフランス大手スポーツ用品チェーン、デカトロン社が仕入れています。
フランス自転車大国、復活の鍵は「電動」
ポルトガルの最低賃金は887ユーロ(約14万円/1ユーロ=約158円)と、フランスの1,747ユーロ(約276,000円)の約半分で、欧州内としては労働力が安価であることから、フランスで同じことをやるのは困難であることは明らかです。
それでもフランス政府は、2030年に国産自転車の生産台数を200万台ににまで増やす目標を立てていますが、その鍵を握るのは、電動自転車です。
現在も少ないながら国産自転車のシェアの半分は電動自転車が占めています。
人気が高い移動用の電動自転車はそもそも価格が高く、海外生産のものと比べて価格差があまり目立たないため、国産にも称賛があるワケです。
ルノーなど自動車メーカーが協力
EV社のノウハウがあるフランスの自動車メーカーも、「エコな移動手段」として、電動自動車スタータアップとタイアップし、バッテリーやモーターなどの若い技師を派遣しています。
自転車産業の復活への課題は、海外製の部品を「組み立て」るだけでなく、もっとも重要な部品である「フレーム」をフランスで作ることですが、今のところ作れる工場はごくわずかです。ちなみにスタートアップ、ムスターシュ社のフランス製電動自転車の価格は、フレームをフランス製にすると5,999ユーロ(約95万円/1ユーロ=約158円)と、そうでない商品2,999ユーロ(約47万円)の倍になります。
購入に補助金、雇用も拡大
環境に優しい移動手段の購入にフランス政府や自治体の補助金が、収入や条件により数百ユーロ(3万円〜10万円ぐらい)でることも電動自転車販売には追い風になってます。
しかも、自転車は販売だけに終わらず、メンテナンスや修理といったアフターサービスも必要で、今後2050年までに100万人の雇用が見込まれます。
執筆:マダム・カトウ