「戦争と平和」にフランス語が多い理由【原書に見るフランス語②】

2018.09.14

フランス語の本今回も前回に引き続き、翻訳されていない原書の魅力などについてご紹介していきます。前回、記事の最後にフランス文学クイズのボーナス問題を出していたのですが、作品名は分かりましたか?では、もう一度、問題を見てみましょう。

質問:以下は有名なフランス文学の一文です。この本の作品名は何?

Eh bien, mon prince. Gênes et Lucques ne sont plus que des apanages,(中略), de la famille Buonaparte.
(ねえ、公爵様。ジェノバとルッカはもはやボナパルト家の領地にすぎないのですわ。)

正解は…「戦争と平和」 作:トルストイでした!

「え?!トルストイって、ロシアの作家でしょ?」と思った方も多いことでしょう。実はその通りで「戦争と平和」はロシア文学を代表する長編小説ですが、なんと冒頭がフランス語で始まっているのです!

冒頭だけではなく、作品のあちこちにフランス語がちりばめられています。それはトルストイがフランス語に憧れていたとか、シャレだとかいう単純な理由ではありません。

では、なぜロシア文学の「戦争と平和」にフランス語が使われているのでしょうか?

 

「戦争と平和」でフランス語が使われている理由

ナポレオン風の騎士18世紀〜19世紀初め、ロシア貴族は日常生活で本当にフランス語を使っていたのです。母国語のロシア語よりもフランス語を流暢に話す人もいたほどです。ですから「戦争と平和」は当時の風俗を忠実に反映した作品といえますね。

これは、元を正せばピョートル大帝(在位1682〜1725)の政策によるものでした。彼はあらゆる面でロシアが西洋に遅れを取っていると感じていたため、徹底して国をヨーロッパ風の大国にしようと改革したのです。そして使用する言語は、当時、全欧州に君臨していたフランス語こそがふさわしかったという訳なのです。

意外と多いフランス語を使ったロシア文学!

ヨーロッパの国旗実際、トルストイだけではなく、19世紀のロシア文学の多くにフランス語の使用が見られます。詩人プーシキンは、ロシア人である自分の妻への手紙をすべてフランス語で書いていたと言われています。

もちろん、この風潮に批判的な人たちもいました。しかしナポレオン戦争や、その後の時代の流れの中でフランス語の使用は徐々にすたれていくことになります。

 

最後に

世界の歴史の中で、フランス語の果たした役割、与えた影響について学ぶことができるのも原書ならではでしょうね。そんな視点からフランス語について考えるのも興味深いのではないでしょうか。

執筆 Akiyo

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